ごうティナのブログ

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98年以降の横浜ベストナイン

こんばんは。

前回の記事で流れが変わりそうとか言いながらあれからすぐ連敗でしたねw 見る目がない事を露呈してしまいましたが…気を取り直して、

https://www.baystars.co.jp/70th/bestnine/


こんな企画をやっているようです。そこで今回は自分が見てきた中(98年以降)でのB9と、次点の選出をしてみたいと思います。貢献度、印象度、そして当然ながら主観が入ってます。悪しからず。


投手

三浦大輔

番長ことこの人はおそらく異論ないだろう。球が速いわけでも、特別曲がる、落ちるような決め球があったわけでもないが、大きな怪我も無く横浜一筋で長く先発として貢献してくれたのは周知の通り。一度だけ登板した98年日本シリーズは大炎上してしまい、その後引退するまで登板は無し。もう一度日本シリーズに出て、あの時の借りを返して欲しかった。また、開幕投手として幾度となく登板したが、結局勝利する事ができず。全盛期の2000年代にチームが弱すぎた事が残念であった。2016年、12球団で横浜が最後となる「初CS出場」を見届けるようにして引退。数少ない、横浜一筋で引退した名選手。自分がスタジアムに通っていた2000年代は、正直試合を観に行っても勝利を諦めていたが、三浦が先発する日だけは勝利の期待をした。そんな投手。


次点 佐々木主浩

佐々木は150km/hの速球に言わずと知れたフォークボールで「大魔神」として君臨。抑え投手ながら98年はMVPを獲得。セリーグ優勝、日本一、どちらもマウンドに立っていたのが佐々木であり、優勝した当時のチームの象徴だった。2000年からMLBマリナーズに移籍。2004年に横浜復帰後は期待通りの活躍ができず。全盛期は1回も生で観たことがなかったのが残念。


次点 山崎康晃(現役)

新人年から毎年30Sを挙げる、2010年代の横浜ベストピッチャー。こちらも150km/hの速球に落ちる球で打者を制圧。新人年から抑えというのが素晴らしい。これからも故障にだけ気をつけて抑えを続けてほしい横浜の宝。


捕手 谷繁元信

中日のイメージが強いが、2001年オフにFA移籍するまでは横浜。98年優勝メンバー。谷繁が去った2002年から横浜は暗黒期に入り、その後中日は長らくセの強豪に。谷繁だけの差ではないが、ある意味最も手放してはいけない戦力だったかも。


次点 相川亮二

谷繁が去ったあとの捕手争いを制し、WBC日本代表に選ばれるまでに活躍。2000年代当時はチーム順位が悪く、阿部、古田、谷繁、矢野とセリーグは優れた捕手が揃っていたので過小評価されていた感がある。相川がFAになった年、二番手捕手の鶴岡をトレードに出しつつ相川はヤクルトに去ったことで、横浜は再び捕手に苦しむ事になった。レギュラーがFAを取得するのに、二番手を放出する当時の球団、今思い出しても本当にどうかしている。


一塁手

ホセ・ロペス(現役)

近年の躍進を支える1人。打っては20〜30近いHRに、守っては1632連続守備機会無失策の日本記録を達成するなど、攻守共に優れたプレイヤー。打撃は波が荒いが、重要な場面での一発が記憶に残る。また、お立ち台に息子を上げたり、チームメイトにちょっかいをかけたりなど、のんびりした表情からお茶目な事をする良い父親という印象。


次点 トニ・ブランコ

駒田やウッズなど他にも候補はいたが、1年限りながらインパクトがあまりにも強かったので次点に。中日から移籍してきた2013年に、.333 41本 136打点の二冠王。HR王こそ60本打ち日本記録を達成したバレンティンだったが、活躍度は引けを取らない。翌年以降は怪我や太り過ぎで一気に成績は落ちたが、この1年だけで言えば99年のローズに匹敵するハイレベルの活躍だった。


二塁手 ロバート・ローズ

90年代に8年間の所属で打率3割を7回、打点90を6回、首位打者1回に打点王2回と安定して長期間活躍した、横浜のみならず歴代最高セカンドの1人。ローズといえばタフィーを思い浮かべる人も多いが、横浜ファンからすればこの人しかいない。99年、マシンガン打線が最も打ちまくった年は、.369と当時の右打者最高打率、HRはキャリア唯一30本代、153打点の大暴れ。90年代後半の横浜があれだけ打ちまくったのも、いわゆるフリースインガーが少なく4番のローズからして繋ぐバッターだからであった。守備でもGGを獲得するなど、打撃同様堅実であった。当時は年間130〜135試合だったので、今のように140以上試合があれば4000打数以上が対象の通算打率トップも狙える位置にいた。


次点 無し

あえて挙げるなら種田辺りか。近年も苦しんでいるポジションであり、ローズ退団後長く固定された選手が殆どいない印象。


三塁手

村田修一 

2000年代の暗黒時代の主砲。2年連続HRに輝くなど活躍度は高かったが、三振や併殺打も多かった事やチームが弱すぎたのもあり、どうしても高い評価を与えづらい。しかし巨人移籍後もHRを重ね、通算360HRを記録したのは素晴らしい。


次点 宮崎敏郎(現役)

筒香、ロペスと並び近年の躍進の立役者の1人。若手時代に送球よそ見事件をやらかしたのも今や昔、今では左右に鋭い当たりを連発する中距離ヒッターとして、そして守ってはGGを獲得するなどリーグを代表するサードに成長。2017年は鈍足の右打者でありながら首位打者を獲得し、打撃能力の高さを改めて証明した。今季は数字が伸び悩み、更に骨折も重なり不完全燃焼。来季に復活を期待。


遊撃手 石井琢朗

90年代から2000年代に活躍。実は本名は石井忠徳(ただのり)。投手としてプロ入りし、本名でプレイしつつ1勝をマークするも、投手に限界を感じ野手転向を志願。野手転向時はサードだったがその後ショートに転向。野手転向を機に石井琢朗と選手登録。

走攻守3拍子揃った選手であり、守っては強肩と俊足を活かしてGG(4回)を、走っては盗塁王(4回)を、打っては最多安打(2回)を記録するなど、セリーグ最高のショートであった。2006年に球団2人目、投手として1勝を挙げた選手として2人目、ドラフト外入団2人目の2000安打を達成。晩年は特に打撃で苦しんでいた印象が強いが、全盛期の90年代末は子供の頃の自分にとって「カッコいい野球選手」の代表であり、当時最も好きな選手であった。特に忘れられないプレーは98年日本シリーズの初戦、第1打席で見せたセーフティーバント。あれはリアルタイムで見た人には印象深いかと思う。


次点 無し

石川を挙げたい人もいるかもしれないが、悪いが自分は石川を全く評価していない。先日1000本安打を放つなど、長く在籍し貢献したのは間違いない。が、あまりにもお粗末な守備を始めとして、どうしても高い評価を与えられない選手。他にもショートは良い選手が見当たらない。大和が衰えるまでに、若い選手の成長に期待したい。


外野手

鈴木尚典

97、98首位打者。守備はプロ野球選手として底辺クラスの印象だったが、その打撃技術は素晴らしかった。特に98年日本シリーズでは打ちまくり、シリーズMVPを獲得。この頃は穴の少ない、長打を兼ね備えるセリーグ屈指の好打者であった。全盛期は他にも優れた打者が前後におり、のびのび打っていたと思うが、2000年代に入りかつての主力が抜け、4番を任された辺りから打撃に苦しんでしまったのが残念。数字の上では3割前後打っているが、所謂帳尻でありシーズン終盤の消化試合に打っていた印象しか残っていない。また、守備がまともであればもう少しキャリアが伸び2000本安打も狙えたかもしれない。

しかしここで名前を挙げた選手の殆どが他チームで引退したのを考えると、横浜一筋て引退した珍しい選手だった事が窺える。

そして横浜スタジアム外野席での「球道一心 鈴木尚典」の横断幕は、今も心に残る。


金城龍彦

2000年のプロ2年目に.346で首位打者&新人王を獲得すると、その後も不調年はあったが長らくチームの主力として活躍。勝負強いスイッチヒッターとして、サヨナラ打8本を放つなど2000年代の横浜を代表する選手の1人。2006年のWBCに多村や相川と共に選出。打撃はキャリア通してムラがあったが、GG2回を獲得するなど外野守備は評価が高く、特に肩が強かった。特徴的な打撃フォームも含め、野生的な雰囲気の選手だった。


筒香嘉智(現役)

未来の四番候補として入団すると、プロ5年目からレギュラーに。横浜が初めてCSに出場した2016年は、キャリアハイの44HRに110打点の二冠王で大きく貢献し、村田以来の和製大砲として一気に横浜ファンの心を掴んだ。翌年のWBCでは日本代表の4番として出場し、以来横浜を代表する打者として活躍。プロ入り当初はサードだったが、レギュラー定着後はレフトが主なポジション。

今季は宮崎離脱後に久々のサードを守るなど、打撃に苦しむ中でもチームに貢献。特に近年はキャプテンとしてもチームを引っ張るなど、欠かせない存在。将来のMLB移籍も視野に入れているようで、今チームで活躍してくれている事を幸せに思える選手。


次点 多村仁志

打率、長打、走力、肩、守備、どれも備えた5ツールプレイヤーとして、金城と共に2000年代に活躍した外野手の1人。総合的な能力、ポテンシャルから、メジャーに近い男の評価も当時あった。しかし、スペランカーといえば真っ先に名前が上がるほどの怪我体質で、毎年のように怪我をしていたのが惜しまれる。結局横浜で100試合を超えて活躍したのは2年限りだった。SBにトレード後横浜に復帰するも、彼もまた横浜で引退する事なく中日で現役を終えた。


次点 佐伯貴弘

主にライト晩年はファースト。90年代から2000年代に活躍。またテレビ珍プレー好プレーでも取り上げられた、トラッキーやブラックホッシーとのバトルが印象に残るファイター()。誰か現役選手につば九郎辺りをジャイアントスイングしてもらいたい今日この頃。

それはさておき、数字以上にファンの記憶に残る打者であった。凡退した球がボークだったので打ち直ししたらHRを打ったり、同点の終盤に満塁からのゴロで先に1塁を踏んでしまい、勝ち越しホームインを許すなどのシーンは忘れがたい。

ウッズが退団して以降、補強が全く機能しないチームにあって四番を任されるなど、不相応な打順に回されたのは気の毒であり、5番や6番に置くには頼りになる選手であった。


次点 内川聖一

99年に入団時は大型内野手として、ショート石井やサード進藤の後釜として考えられていたようで、当初はセカンドも含めて守っていた。しかし送球難もあり最終的にレフトやファーストへ。長らく内野守備に苦しんでいたが、2008年に右打者最高打率を更新する.378を記録。その後もSB移籍後も含め毎年打率3割を記録する好打者として活躍。2009年WBCにも選出された。

左右に打ち分ける技術と一発もある長打力で2008年は村田、吉村と強力クリーンアップを形成するなど、本格化してからはチームの主力だったが、勝てないチームに不満を覚えSBに移籍。移籍後の発言から当時横浜ファンから嫌われたが、はっきり言って正論でしかなく、ようやく優勝が争えるチームになったのは内川が退団し負け癖の付いた選手がほぼ一層された8年後、つまり今年ようやくであった。

2017年の横浜との日本シリーズで山崎から放った同点HRも記憶に残るが、1番のファインプレーは2009年WBCの決勝韓国戦。先発岩隈が同点ソロを浴びた直後、レフトへのヒットを打たれたものの内川が素晴らしいプレーでバッターランナーを2塁で刺し、勝ち越しの芽を摘んだ。これは最後のイチローのタイムリーに隠れているが、未だにあれがセーフだったらと冷や汗をかく、超ビッグプレーであったと思う。


以上、次点も含めての98年以降のマイベストナインでした。成績などは主にwikiから、そして記憶を漁っているので間違えてたらすみません。また引退した選手や印象に残る選手は長くなってしまいましたね。現役はまぁご存知の方も多いと思うので…

現役も数名選びましたが、これからここに名を連ねる選手が沢山出てきてほしいです。


そしてシーズンも最終盤。連敗を止め、最後まで悔いのない戦いをしてほしい。