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上原、現役引退

こんにちは。

巨人の上原投手が現役引退を発表しましたね。2006年WBCでのピッチングや、MLBでの活躍が印象深いんですが、それ以上にプロ1年目に20勝を挙げた活躍が、個人的には最も強烈でした。


上原のプロ1年目は99年。この年横浜は3位でしたが、優勝した前年より打線が強力で、マシンガン打線と呼ばれたメンバーの全盛期でした。

99年首位打者打点王 ローズ

97&98首位打者 鈴木尚

最多安打2回盗塁王4回 石井琢

満塁男駒田

更には波留、佐伯、谷繁、進藤らもこの年は打ちまくり、当時の日本記録となるチーム打率.294を記録。のちにホークスが.297を記録し現在はセリーグ記録となっていますが、DHの無いセリーグでの記録と考えると、99年の横浜が如何に打ちまくったかよくわかるかと思います。


しかし、上原はプロ1年目にしてこの横浜打線を全く苦にせず、顔を合わせれば涼しい顔で抑えていきました。ハッキリ言って、当時顔を見たくなかった投手No.1。

ネットで当時の記録を調べてみました。

99年

25登板 20勝4敗  QS22 HQS19 WHIP0.92 防御率2.09 K/BB7.46

25試合中責任投手になったのが24試合。

試合を作ったと評価されるクオリティスタート(QS=6イニング以上投げ3失点以下)が22試合。

ハイクオリティスタート(HQS=7イニング以上投げ2失点以下)が19試合。

1イニング当たりに許したランナーの平均値(=WHIP、1以下は超一流)が0.92。

四球1個につきいくつ三振を奪うか(=K/BB)7.46。

参考までに、現役で日本一の投手と言っていい巨人の菅野投手の、18年の成績と比べてみます。

28登板 15勝8敗  QS19 HQS17 WHIP1.02 防御率2.14 K/BB5.56


今年は打ち込まれてますが、去年の菅野はこの素晴らしい成績で、文句無しの沢村賞(その年のNo.1投手に贈られる賞)を受賞しています。その菅野と遜色無い成績だったのが99年の上原でした。

残念ながら、当時はQSやWHIPなんて言葉はまだ無かったので、勝利数や防御率ばかりが目立ちましたが、セイバーメトリクス全盛期の現在であれば、更にその成績への評価は高まっていたでしょう。


上原の大きな武器、それはコントロールフォークボール。更にアメリカでも話題になった、ストレートの伸び。ポンポンとテンポよくストライクを取っていき、フォークで三振を奪うピッチング。四球で崩れるような事は無く、特に危ない死球を当てたようなシーンは記憶にありません。

打者からしたら非常に踏み込みやすい、勝負に集中できる投手のはずなのに、それでも打てない投手だったのが、キャリア通しての上原の特長だったと思います。


そんな横浜ファンからしたら憎たらしい、顔も見たくない上原が本当に頼もしく感じたのは、06年の第1回WBC。準決勝の韓国戦は、代打福留の1発が多くのファンの記憶に残っていると思いますが、あの1発まで無失点に抑えた上原のピッチングもまた素晴らしかった。

WBCは球数制限があり、抑えているからと言って良い投手に長いイニングを任せづらい大会なのですが、コントロール良く球数の少ない上原は、7回無失点とパーフェクトに抑えてくれました。


その後海を渡った上原については、自分の生活環境の変化もあり活躍を追う事ができなかったのが残念。レッドソックスでのワールドシリーズ制覇の胴上げ、本拠地フェンウェイパークでの登板時の盛り上がりを見れば、その活躍と人気を伺う事ができるのですが。

https://m.youtube.com/watch?v=iHdIoehkjRQ

ワールドチャンピオンの年のプレーオフ。テーマ曲に合わせ手拍子で迎えるファン、淡々と投球練習をする上原、曲がひと段落し観客の興奮が頂点に達し、場内アナウンスが流れる…こんなカッコいい登板シーン、本当に痺れます。リアルタイムでこの登板を見たかった。


横浜ファンとして、主に敵、時に味方にと見る側としての立場が変わった上原。一つだけ言える事は、素晴らしい投手であったという事。長いキャリア、本当にお疲れ様でした。

ただし最後に一言。

「巨人のドラフト1位で雑草はないだろ!」

当時、悔し紛れにいつも思ってましたw